東日本大震災記(2011年3月記)
福島県内の避難所にボランティアへ
大震災から二ヶ月が経とうとしています。
テレビの報道を見る度に、自分にも何か出来ないかと模索する毎日でした。
そんな時、日頃お世話になっている蕎麦職人のご主人から、「避難所に蕎麦を打ちに行くから
一緒に行かないか。」と、お誘いを受けました。
ご主人は、その場で手打ち蕎麦を振る舞い、私は現地の整体師の方々と共に身体のケアを
させていただく・・・
スタッフは全12名。前日の夜、秦野を出発しパーキングで夜を明かしました。
早朝の気温、マイナス2度。避難所の寒さが推測できます。しかも体育館・・・
道すがら、地割れや段差を目の当たりにし、揺れの激しさを知りました。
目的地である福島市内の福島商業高校に到着。テレビで観ている光景と、あまりの違いに
体育館に一歩足を踏み入れた途端、立ちつくしてしまいました。広い体育館には
プライベートも何もなく、必要最低限の物資があるだけなんです。
その日は、ちょうど小学校の入学式。避難所からランドセルをしょって向かう健気な姿・・・
涙を隠すことすら忘れていました。
この避難所は、自衛隊の方が炊き出しに来ているので、まだいい方だそうです。
でも基本は、カップ麺と菓子パン。今回のお蕎麦は、被災者の方はもちろん、自衛隊の方、
学校の先生方、全ての方々に食べていただきました。
帰らなくてはいけない時間が来た時、「自分には温かい家がある。この方達にはそれすら無いんだ。」 後ろ髪を引かれる思いで体育館を後にしたのを、今でもハッキリ覚えています。 あの方達の顔は、一生忘れることはないでしょう。この貴重な経験を、自己成長に活かしていこうと、 つくづく感じました。
今回のような企画をしてくださいました石庄庵のご主人を始め、同行しました12名の仲間に感謝しつつ・・・
感謝